#16

2018.01.17

和音のような色
― テクノロジーを活用した新しいアート表現 ―

担当ディレクター:福島 健一郎
毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、新産業の創出へのキモチとモチベーションアップを目指す、モチモチトーク。

2018年1月17日、第16回は「和音のような色 ―テクノロジーを活用した新しいアート表現―」
聞き手は、福島 健一郎ディレクター

福島ディレクターより
「技術を利用したアートはどうして生まれたか、そしてどのように作られたかをたっぷりお聞きしました。」

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枯れてしまうこの花を、覚えておく

岩井美佳さんは、肩書きを伝えるのが難しい人だ。アーティストといえばアーティストだし、作家といえば作家なのだが、どうも彼女を表現するには、それらの言葉はやけに仰々しく偏ったものに思えてしまう。
岩井さんの話を聞けば聞くほど、枠組みや肩書きもない、もっと実直で親しい表現者のように思えるのだ。あるいは、本来のアーティストというのは、岩井さんのような人を指す言葉なのかもしれないけれど。

岩井さんの生まれは東京。家族とともに金沢に移住し、高校時代までを金沢で過ごした後、大阪大学工学部応用自然科学科に進学。大阪に居を移す。
しかし、わけあって同大学は中退。その後再び金沢に戻り、金沢美術工芸大学美術科に入学。
日本画専攻卒業、同大学工芸科染織コースを修了した。
現在は作家として、布、映像、絵の具、音を用いて作品の制作を行う。
特に最近は、テキスタイルに映像を掛け合わせたインスタレーション作品を発表している。

彼女の経歴のなかで、国立大学工学部を中退し美術工芸大学に進むという歩みだけを見たならば、いくらか首をかしげてしまう人もいるだろう。
そもそもアートやデザインに関わりたいと考えていたのであれば、なぜ工学部に進んだのだろうか、と。
逆に、工学部から美大に行こうだなんて、何があったのだろう、と。

「小さい頃は絵が好きで、よく描いていたんですけれど、ちゃんとしたデッサンなどは、したことがありませんでした。思い返すと、将来なりたいものは何かと聞かれると、なんとなくデザイナーと考えていたときもあったんです。ただ、親戚縁者にデザインや芸術に関わる職業に就いている人はいませんでしたから、どうやったらなれるのかもわからないし、よほど絵が上手い人が就く職業だと思っていました。」

アートやデザインに関わりたい。
そんな想いは岩井さんのなかで、浮かんでは消え、浮かんでは消え、を繰り返した。
けれども結局のところ、大学進学の時もその想いは具体的な形を得ないまま、宙に浮かびつづけていた。一方、「永遠に六角形がつながっていく構造式がすごく好きで」化学に興味を持った岩井さんは、高校で理系を専攻。そのまま大学でも理系の研究をつづけようと、工学部に進学するのである。

岩井さん自身、大学時代、卒業後は化粧品会社への就職を考えていたという。
「応用科学系の学校だったので、化粧品会社でファンデーションを作ったり、マニキュアの色を調合したりする仕事に就きたいと考えていました。カラーコーディネーターの勉強もしていました。」

しかし、卒業と就職の迫る大学4年生の頃、岩井さんに一つの転機が訪れる。
それは、彼女が自らの人生の舵を大きく切り替えるきっかけになった。

「病気をしたんです。運が悪かったら命にかかわるといわれるような。それがなかったら、何の迷いもなく化粧品会社に就職していただろうし、今頃、東京で電車に揺られていたと思います。」

病気が発覚した岩井さんは、そのまま、大阪の病院で入院生活をおくることになる。一人故郷から離れた地で長くつづいた入院生活は、岩井さんに、少しのセンチメンタルな感情と、自身のことや今までとこれからの人生、世界のあらゆることをじっくり考えるための十分な時間を与えた。

「入院中、友人たちが見舞いの花を持って訪れてくれました。入院中のお見舞いの花はそこに根付かないように切り花を用意しますよね。土がついていないので、その花は、いつかは絶対に枯れるんです。 いただいた花を見ながら、『この花はいつか枯れるんだ』と思ったら、なんだかとても心が動かされたんです。そして、枯れてしまうこの花を、覚えておく方法はないのだろうかと考えはじめたんです。」

はかなく枯れる花、今しか見ることのできない景色。
その無常の光景に、自らの命を重ねたのかもしれない。岩井さんの前には、就職のため取得を目指していたカラーコーディネーター資格の勉強のために用意した、クレヨンと画用紙があった。

「今であればスマートフォンやデジタルカメラで撮影すれば良いのかもしれないですが、その時は、カメラにおさめる行為も、なんだか自分の意思とは違う気がしたんです。目の前にはクレヨンと画用紙が置いてある。この花を覚えておくためには、その色、姿を、自分の手で描くのが一番だと思ったんです。」

岩井さんはクレヨンを取り、花を描いていった。入院生活の間の長い空白の時間、花が枯れるまで繰り返し描きつづけた。そして、宙に浮いたままであった、アートやデザインに関わりたいという想いは、むくむくと形をとるようになった。

「同室の方が絵をのぞいて『あんた上手だね』と言ってくれたりして、良い気になってしまって。そこからはもう、『私、絵をやりたい』と思うようになってしまったんです。」
そう、岩井さんは笑う。

壁じゃなくて、空間に色があればいいのに

絵を描き、考えを巡らせながら過ごした2ヶ月ほどの入院生活を経た後、無事退院した岩井さんは、大学を辞めて金沢へ帰郷することを決める。

「美大に行きたいという想いがありました。そこで、一旦大学を休学するという形をとり、その間に絵の勉強をし、受かったら美大に行かせてくださいと、母にお願いしました。」

美大のほかに、選択肢は二つあったという。
一つは環境系の学校で、カラーセラピーなどを学ぶこと。
もう一つは、薬剤師になれば自分で絵を勉強する時間もとれると考え、薬学部に進むこと。
いずれも、今まで歩んだレールを一度とりはずし、新たに敷きなおす選択肢だった。
22歳の時である。

しかるべくしてというのだろうか。岩井さんが進むことになったのは、三つの選択肢のうち、第一志望であった金沢美術工芸大学だった。専攻は日本画。和紙の上に岩絵の具を使って絵を描くという、伝統的な日本画の手法を学び、作品を制作した。しかし、今現在の岩井さんを見る限り、伝統的な絵画、いわゆる「壁にかける絵」のような作品はない。なぜなのだろう。

「日本画はとても好きだったんですが、当時の日本画の学科では、2m×1m50cmの大きな作品をきちんと描いて、公募展に出品したり、個展をつづけていくという風潮だったんです。大きい作品を描くのは私も好きなのですが、普通の家なので保管する場所がなくて。先生たちは画廊やアトリエなど、作品を保管できるところを持っていらっしゃると思うのですが、私は、大きすぎる作品は捨てていくしかなかったんです。」

たとえ賞をとることができても、絶えず大型の作品を生み出し、それを維持管理するのには費用がかかりすぎる。このまま、パネルに絵を描くという形で制作をつづけるのは現実的でない。
そう判断した岩井さんは、別の表現方法を模索するようになる。

そんなある時、見つけたのが、かつて自分がノートに記した言葉だった。

「当時、10年ノートというものをつけていたんです。1年に3ページくらいしか書かないノート。そのノートに、日本画専攻に入った直後くらいに『壁じゃなくて空間に色があればいいのに』という、よくわからないことを書いていたんです。絵本の中を歩きたい、とか、色が浮かんでいるようなところを歩きたい、とか。」

空間に色を。
ふいに再会したこの一節は、岩井さんの表現における新たなカギとなった。

それから岩井さんは、空間を染めるためのキャンバスとして布やビニールに焦点をあてるようになる。2007年当時やっと手頃になった家庭用のプロジェクターを購入し、布に光を投影するなどの実験に取り掛かるのもこの頃だったという。しかし、なかなか納得のいくものはできなかった。

「もう少し学ばなければと思っていました。小さい頃から美術大学に進もうと絵を描いてきた人たちと違って、わたしは経験年数が少ないので、どこか心残りもあったんです。そこで、卒業してはいたものの、染織科コースの先生にお願いし、科目等履修生として染めを習いはじめることにしたんです。」

勤めた会社を辞め、1年間、科目等履修生として染めを学んだ岩井さんは、さらに金沢美術工芸大学大学院染色コースに進学。コース修了後は、再び印刷会社でアルバイトとして働きながら、色のある空間づくりを探る日々を送った。
当時はまだ、布自体を染めて空間を色付けようと試みていた。

そんな岩井さんのもとに一つ、仕事の依頼が舞い込むのが2014年のこと。
これが、彼女と映像の出会いである。

「金沢市民芸術村ミュージック工房のディレクターだった上野賢治さんに、『舞台をやるので手伝ってくれないか』と言われたんです。依頼は、舞台上で踊っている人の背景に、文字や静止画を投影したいというものでした。私が描いた絵の画像をパワーポイントでスライドにするだけでも良いと言われたんですが、画像を繋げたらアニメ―ションになるんじゃないかと考えたんです。」

舞台のテーマは芥川龍之介作の「羅生門」。自ら筆で描いた文字をベースに、3D技術で文字が迫りくるような演出を加え、羅生門のおどろおどろしい雰囲気を表現した。
それまで映像ソフトを触ったことはほとんどなく、この時も無料版のソフトを利用した。

「締め切りがあったので、とにかくやるしかなかったんです。上野さんには本当に感謝しています。」
と岩井さんは語る。

ニュージャンルセッション「羅⽣⾨」の舞台。

できるものを、並べて、ぐちゃぐちゃにして、また繋げて

市民芸術村での経験から、映像による空間演出のプロトタイプをつくりあげた岩井さんは、かつて自分がノートに記したような世界を実現すべく、個展の開催に向け、金沢アートグミへ直談判に赴く。

「担当者の方に、『短期間で良いので個展をやらせてください』とお願いしました。突然お願いしに行ったにも関わらず、やさしく対応してくださり、依頼した10か月後には個展をさせていただけることになったんです。」

念願の個展開催に向け、後輩にも協力を仰ぎながら準備を整えていった。
そうして実現したのが、「浮遊するリアル」である。

展示会場には、型染めの布30本が天井から吊らされており、背後からはプロジェクターで水彩画で描いた10日間の紫陽花の姿を投影した。映像は、岩井さん自身が奏でる会場内の音楽に反応し、
にじみや色合いが変化するようプログラミングされている。

「ようやく、あの時ノートに書いていたように、空間に色があって、人が歩く絵本のようなモチーフを表現することができたと思います。」
岩井さんが長らく探求した空間が、表現された時だった。

「浮遊するリアル」の会場。

ところで、岩井さんの制作する映像は、ビデオ機器で撮影した動画、あるいはストーリーを追うようなアニメーションなどとは異なり、描いた絵の画像を重ねたものが中心である。そのアイデアは一体、どこから生まれてきたのだろう。

「実は私、あまり絵をまとめきれないんです。『岩井さんの絵は、スケッチの段階や、途中で筆を置いて帰った時には良いのに、翌日には結局グレーになってしまうね』と、学生時代から指摘されていました。それならばと、毎日、絵を描く過程を写真で撮影するようになりました。そもそも、完成したものを見てもらうためではなく、花が枯れる前に覚えておきたいという想いから私の絵ははじまっているので、毎日、描いた痕跡を撮って、時間の流れとして見ていただくことは、理にかなっていると思ったんです。」
今でも、一枚の絵で、美しい物を仕上げられることは羨ましいと語る。

「けれども、私はそこまでできないと思っています。他のことも同じ。例えば、舞台映像をつくってくれと言われたとき、映像についてもわからないし、絵も完成できないし、プログラミングもできない。でも、納品しないといけない。だから、私ができるものを、並べて、ぐちゃぐちゃにして、また繋げて。そうやって、表現方法をつくっていったんです。」

ドンドンドンと扉をたたいて

そんな岩井さんは、なおも表現方法を限定せず、さまざまな人や道具とつながりながら、新しい活動に取り組んでいる。

「個展『浮遊するリアル』の現場では、光を当てることによって、布から影が出るという発見がありました。つまり、色だけじゃなく影も空間に表現できるんだと気づいたんです。」

それならば布に影絵のような模様を描きたいと考えた岩井さんは、まず、型染めで布に模様を描いた。出来はよかったものの、型染めに使用するもち米と米麹の影響でカビが生えやすく、布の管理が難しかった。
そこで思い至ったのが、レーザーカッターである。レーザーカッターを使えば、簡単に布に模様を入れることもできるし、切り絵にして影をつけることができる。
しかし、レーザーカッターは高価な品。そう簡単に手に入るものではない。
そこで岩井さんがとったのは、レーザーカッターのモニター募集を探すという行為である。

「モニター募集を必死に探し、見つけたところにすぐ連絡して『貸してください!』とお願いしたんです。勢いに押されたのか、『よくわからないけど貸してあげる』と言ってもらいました。」

そうしてレーザーカッターを扱うようになった岩井さん。布に模様をかたどるほか、木の素材に模様をレーザーカッターで切り抜いたランプづくりなどにも挑戦する。

加えて最近は、空間における影と光を活かした、影の色彩ワヤンプロジェクト※で各地を回っているという。

「ワヤンプロジェクトの一環として、金沢21世紀美術館『オープンまるびぃ』で体験型展示を行ったところ、その様子を見て、金沢海みらい図書館からも依頼をいただきました。私たちがきちんとプログラムを作っていれば、依頼をいただける。体験型のプログラムがビジネスとして提案できていけば、私たちにとっても幸せなことです。」
と、これからの展望を語る。

※影の色彩ワヤンプロジェクト:インドネシアジャワ島の伝統的な影絵芝居に、インスタレーション、映像、音楽、演劇などの表現を加えた新しい影絵表現のプロジェクト。舞台の上演のほか、ワークショップなども行う。

「よくよく考えると、『こうしたい』と思ったことに関しては、自分から直接ドンドンドンと扉をたたいている気がします。美大もそうだし、科目等履修生になるときもそうだし、個展のときも、レーザーカッターのモニターもそうだし。それが転機になったり、今につながっているのかなとは思います。でも、自分でも、自分が何をやっているのか明確に言えないし、なんでここにいるんだろうと思うことも時々あります。基本的には、ご縁というか、不思議なタイミングで今ここに行き着いている気がします。」
そう締めくくる。

世の中の表現者には、生まれながらに突出した才能をもった表現を行う人、あるいはなにか一つの技術をとことん突き詰めて地位を確立していく人たちがいる。
人は時に彼らを天才、あるいは、その技術の名を冠したアーティストだと称し、限定された存在として扱う。けれど、世の中で何かを表現したいと思う誰もが、一つの輝く色をもってしかるべきかと問われれば、そんなことはないはずなのだ。

たとえ単色での際立った色を持たずとも、いくつかの色があればいい。
異様に数が多くても、くすんだ2色しかなくてもいい。
すべてが原色でも、すべてが明度違いのグレーでも、それを並べて、ぐちゃぐちゃにして、また繋げてみれば、きっとそれは誰にも真似出来ない、その人だけのグラデーションを持った色彩となる。そしてそれを使って描いたものは(何かを描きたければ)、おそらく、その人にしかできない表現となる。

岩井さんは、そのことを体現しているように思うのだ。

完璧が正ではない。不完全で移ろいゆくのは生きている限りつづく変化だ。
だからこそ、完成しない絵、あるいは混ざりきらない色。
一か八かではない曖昧で移り変わるもの。
あいまいで浮遊するなにか。
人は知らぬ間にその魅力に気づいていて、心を動かされるかもしれないなと思う。
岩井さんが、花の命の過程に美しさを見出したように。

話し手
岩井 美佳(いわい みか) CHORDAL COLORS代表

聞き手
福島 健一郎 ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター
(アイパブリッシング株式会社 代表取締役)


鶴沢木綿子

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