#40

2019.10.17

「チャンカレNow」〜 現在進行形の組織変化 〜

担当ディレクター:杉守 一樹
毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、彼らの活動事例などから新たなビジネスにつながるアイデアの糸口を探るディレクターズトークセッション。

2019年10月17日、第40回は、
「チャンカレNow」〜 現在進行形の組織変化 〜。
聞き手は、杉守一樹ディレクター。

昭和36年に創業し、北陸を中心に全国で愛されるカレー専門店を展開する、金沢カレーを代表する「チャンピオンカレー」。
そんなチャンカレの現社長はかなりロジカルでクリエイティブ。 カリフォルニア大学サンディエゴ校経済学部を卒業後、2009年に大和総研に入社。東京都内の外食企業などを経て2013年1月より株式会社チャンピオンカレーに入社。同年7月から常務、16年10月から代表取締役 社長に就任された 南恵太さん。 創業3代目として事業承継からはじまり、チーム作りや仕組み作りなどの数多くの取り組みをしてこられた南恵太さんに、現場であったリアルな”チャンカレNOW”を伺いたいと思います。

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金沢カレーの発祥

「チャンピオンカレーについてどんな会社ですかと聞かれたときに1番わかりやすいのはこれかなと思います。今、金沢カレーと呼ばれているものを1番最初に作った会社です」。

金沢カレーの起源説は巷に様々あるが、その真相は実は南さんの祖父である田中吉和さんが出店した「洋食田中」から始まっている。田中吉和さんが独自に作ったカレーの濃い味が当時としては珍しく、多くの人に支持をされ、段階的にカレー専門店になっていった。その過程で、店の1番人気と2番人気のものを合わせ、今の金沢カレーとして親しまれるスタイル(ステン船皿、カレーの上にソースの掛かったカツとキャベツが載せられる形式)となったそうだ。

元祖はターバンカレーじゃないかという説も、半分正解だ。
洋食田中という名前で創業した田中吉和さんは、その後、ターバンカレーという店を共同経営で運営していた。その共同型が分裂し、同じ屋号でそれぞれ運営していたことが20年ほどあった後、ターバンカレーとチャンピオンカレーに名称が分かれたのである。

さらに昔を辿ると、レストランニューカナザワという、県内から腕利きのシェフが集められた洋食店で田中吉和さんと共に働いていた同僚たちが、後にそれぞれ独立したときに、カレーのレシピを田中さんから教わった。それがアルバ・キッチンユキ・インディアンカレーなどに発展していった。

とても複雑な形なので、だれも金沢カレーの定義についてはっきりと言えない。
しかし、チャンピオンカレーには当時の資料などが残っている。そこから南さん自らが裏付けを取り、まとめた金沢カレーの成立史についてはチャンピオンカレーの公式サイトに掲載されている。

チャンピオンカレー公式サイト「金沢カレーの歴史」
https://chancurry.com/history/

チャンカレ社長は元証券会社アナリスト

現チャンピオンカレー代表取締役社長である南さんは今年で34歳。
創業者の孫で3代目だが、元々実家を継ぐ予定はなかったという。

カリフォルニア大学サンディエゴ校を卒業後、株式会社大和総研へ株式アナリストとして入社。
大和証券SM BCで機関投資家向けのデータ収集や分析などをしていた。

「そんな中、ちょっと実家戻ろうって決める出来事があって、東京都内の立ち食い寿司屋に転職して、2年ほど働いて、店舗と本部機能と店舗開発を経験してきました。」

2016年からは南さんが代表取締役社長に就任。

「今から僕がお話しする事は若者の戯言と思って聞いてもらって構いません。こういうことを僕はやっていますということを話すだけです。成功したから皆さんの前で話しているわけでは無いですし、ケーススタディとして聞いていただければと思います。」

戻ってきてすぐの状態と土台作り

チャンピオンカレーは直営店舗が2店舗、9割型がフランチャイズという特殊な展開をしている会社だ。

「多分皆さんが思われているよりもだいぶ事業規模は小さいんじゃないかなと思います。よくいらっしゃる取引業者さんとかで、うちの事業規模を8番ラーメンさんとかと同規模と思われている方がたまにいらっしゃるのですが、いやそんなに大したものではございませんという感じです。」

南さんが実家の事業に入った当時、チャンピオンカレーの経営状態は焼け野原だったという。

当時、南さんが一番驚いたのは、何百とある取引先や入金先の情報が全部Excelファイルで手打ち入力されていたこと。計上は現金主義のため、最低限の入金や支払いしか把握できず、月次で一体どれだけ利益が上がっているのかが分からない状態だった。

「当時僕が思ったのは、何のダッシュボード表示もない車に乗せられている感じ。何キロで走っているのか分からない、どれぐらいエンジンが回っているのかもわからない、オーバーヒート状態なのかも全然わからんと。その状態だと何やっていいか分からないんですよね。なので、最初にやっていたのはひたすら現状把握でした。」

システムを入れたいと思うものの、年末になるまでその年の成績が分からず、どれだけシステム投資ができるのかもわからない。さらに、システムを導入したとしてもそれを把握できる人間がいない。 そこで役に立ったのが、大和総研での大容量Excelファイルを使った集計作業の経験だった。
南さん自身が集計用のExcelシートを作り、原価を出すところが始まりだったという。

「あと、最初きつかったなぁって思うのは、オーナーさんとの関係が難しかったことですね。」

フランチャイズというのは、本来は店舗の教育や運営補助などに対して責任を持つものだが、チャンピオンカレーがフランチャイズ運営に踏み出した当時は「それをやると他人資本で店が出せるらしい」という体だけで出していた。「カレーだけ売るから、こういうルール出して後はルールだけ守ってやっといて」というやり方が長かったため、各店でのメニューやサービス内容が未だに完全には統一されていない。

フランチャイズの店舗オーナーの中には、これまでの不満が溜まっている人もいた。そんな中での新社長の挨拶まわりでは、無理難題をふっかけられることも多かったという。

「当時27のボンが、なんかでっかい会社に行ったんだか知らないけど、戻ってきて偉そうに言いやがってとかそういうのもあるし、本部として今まで何もしてくれなかったんじゃないか、というオーナーさんの気持ちは当然ですよね。」

全身でそれを浴びながら1年ほどを過ごしたという。
その心労は計り知れないが、そういった実地経験ができたことは良かったと南さんは話す。

新しいチームができるまで

現在のチャンピオンカレー本部の中心メンバーは6人で、そのうち3人が熟練のプロパー。全員15年から20年の業歴があり、30後半という脂の乗り切った3人がフランチャイズの店舗を統括している。 残りの3人は外部から入社した。全員、外食の色のついていない人たちで、小売や卸会社、人材派遣、ITベンチャーなど様々な経験を積んだ人材と縁があり、今、良い形で回り始めているという。

<南さんが想定する回復ステップ>
1) 自分たちが「しっかりした仕事をしている」という意義付け。
(例:SGS-HACCPの取得、システムを導入し数値管理、etc.)
2) 「勝てるチームである」という自己認識、実績作り。
(例:外販事業による業績拡大、直営店→FC店の業績回復)
3) 組織としての学習、次の《勝ち筋》を探索。
(例:新規業態の出店、新商品の開発、チャネルの拡大)

「僕が最初思っていたのは、チームが機能しないのに経営計画とか事業方向とかロジックで喋っても意味ねーなと。というのは、そういうのは雇われている人たちはついてきてくれそうな雰囲気を出すじゃないですか。多分それで走っても足腰がしっかりしていないので回らないなぁというのは実感としてすごくあった。だから、まずはマイナスをゼロにしましょうと。当時色々とやっていないことがあったので、そこからですね。」

例えばHACCP(ハサップ:食品を製造する際に安全を確保するための管理手法)。
名刺には「HACCP取得のチャンピオンカレー」と書いてあるも、実際には完全には機能しておらず、コンプライアンス上はグレー。現場では何が違うのかも分からないが、彼らは『初めてのHACCP』という雑誌を買ってきて工場に置き、付箋をつけて読んでいた。それを会社がやっていないということに対してフラストレーションがあったかもしれない。 まずは、やるべきことをやるというのがステップ1だと南さんは話す。

そこができて初めてステップ2に進む。
みんなマイナスからスタートしていることがわかっていて、会社としてもそんなに大したことない、という認識を当時は強く持っていた。だから、小さな事でもいいから成功体験を積ませないといけない。 これは今やっている最中だと南さんは言う。

「ちゃんと機能する次の50年を過ごせるような組織にしたいなぁと思うと、組織として学習できて、運営効率でロスを起こさない組織体制ってどうなんだろうなというのを今考えています。」

期間限定メニューでの試行錯誤

チャンピオンカレーの本店や直営店舗では、2年程前から期間限定メニューを頻繁に出すようになっている。この裏にある戦略は以下である。

1) 仮説モデルを(ゆるく)検証する
2) 顧客セグメントを分解し、対象を決める
3) 数値で把握し、何が起きているのか?をつかむ。セグメントごとに行動を予想してあてはめ、ターゲットを精緻化。
4) 想定ターゲットにハマりそうなメニューをひたすら導入。

チャンピオンカレーのコア客層は金沢工業大学の学生や外回りのサラリーマンだったが、この客層がだんだんと減ってきていた。原因として考えられるのは卒業や異動などのイベントによって流入よりも流出が多くなったことや、リピート率の低下が考えられた。
それと同時に起こっているのが顧客層の拡大。「金沢カレー」の認知が広まり、これまでは少なかった女性客やファミリー客が来店するようになっていた。

つまり、必要なのは頻度回復と流入を増やすこと、と同時に拡大した顧客層の維持であるということをチームに共有した。

データ化をして見ていくと、ランチタイムにテイクアウトが減り、一方で夕方になるとテイクアウトが増えていることが分かってきた。これはきっと女性の社会参加が増え、家に帰ってから料理を作る余裕がないため弁当を買いに来ているのではと推測できた。

「で、どうです?と、店頭に聞いたら、あー確かに、という話になったので、じゃぁ主婦の方に刺さるような施策は無いのか、と考えました。今うちは揚げ物だけでも買って帰れるようにしています。」

マーケティングの世界ではビッグデータが持て囃され、一種の流行のようになっているが、中小企業が中身も知らずそういった「一見賢そうな手法」に乗って易々と踊らされるべきではない、と南さんは言う。

「なんでかというと、ビッグデータってビッグだからビッグデータなんであって、うち程度のPOSデータなんか1年位とったところでビックデータになりえないんですよ。だから、僕ら中小企業は、なんとなくでいいので、確からしい仮説を見つけてやりましょう、という話をしています。」

確率統計やマーケティングなど知らずとも何となく分かるように従業員に伝え、まずは考え方のモデルを刷り込んでいくという作業をしていった。
そして、想定ターゲットにはまりそうなメニューをひたすら導入していく。

流入が増えていない原因を知るために、アルバイトにきている学生などに話を聞くと「単純に行く機会がない」と言われた。昔は先輩に「工大生だったらチャンピオンカレーを食べないといけない」と、無理矢理連れて来られるという慣習があったが、今はそういった体育会系の文化がなくなっている。

「今の大学生は放っておくとうちには来ないんですよ。そこで1回でも来てもらうにはどうしたらいいんだろうと考えました。うちは1回食べに来てもらえれば、ハマる人は絶対にハマると思ってやっているんです。それで、もう受験時から来てもらおうということで『受験に勝つカレー』のアイディアが出てきました。」

成人式が終わり受験シーズンが本格化する1月の10日以降に必勝祈願ののぼりを店の前に並べ、アパートの下見も兼ねて一緒に受験に来る学生と親をターゲットとした。『受験に勝つカレー』を食べて受験に合格したら、その後も来店したくなるかもしれないという狙いだ。

例えば、マクドナルドの近年の広告戦略は衝動性を喚起するように作られている。それを連続することにより、最初のインパルスで引っかからなかった人も何度目かに行きたくなるように設計されている。

チャンピオンカレーでもその戦略を参考にし、とにかく露出する機会を増やし「何かやっている」という消費者認知の引っかかりを作るためのものとして、期間限定メニューを次々に打ち出している。

この手法は直接的な結果につながっていると思われ、今後は直営店だけではなくフランチャイズ店舗にも紹介していくという。

営業・調達の連携

現在のチャンピオンカレー本部では
1)商品部で常にメーカーから話を聞き、食品の価格やロットの条件などをリスト化して営業部へ出す。
2)営業部は顧客のターゲティングをし、必要なメニューの条件を商品部に投げていく。
このように、提案と情報共有が常に回っている状態を作っている。

「いつまでこれでやるかわからないです。ただ、今はうまく回っているのでとりあえずこんな感じでやっています。」

中小企業にとって大事なことは、トライアルの回数を増やし継続していくことだと南さんは話す。
大企業のように、狙って成果を出すための精緻なマーケティングリサーチはできないからこそ、中小企業は小回りの利く機動力を武器にトライアルの回数を稼ぎ、現場からのフィードバックとそれに応じた創意工夫の手数で勝負すべきだとの考えだ。

50年後を見据えながら模索し実行し続けるチャンピオンカレーのケーススタディを数年後にぜひまた聞いてみたい。


話し手
南 恵太 氏(株式会社チャンピオンカレー 代表取締役社長)

聞き手
杉守 一樹(ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター、株式会社Dynave 代表取締役)

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