#13

2017.10.25

AI(人工知能)は人間を超えるか ―AIが変える社会、経済、教育

担当ディレクター:福島 健一郎
毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、彼らの活動事例などから新たなビジネスにつながるアイデアの糸口を探るディレクターズトークセッション。

2017年10月25日、第13回は、「AI(人工知能)は人間を超えるか ―AIが変える社会、経済、教育」。 聞き手は、福島健一郎ディレクター

福島ディレクターより
「AIとは本質的にどういうものか、そしてそれが社会や経済、教育をどう変えるのかを易しく教えていただきました」

レポート印刷PDF

通信から人工知能へ

今回の登壇者、金沢工業大学工学部教授の中沢さんは石川県小松市出身。
金沢工業大学工学部を卒業後、3年間の株式会社富士通研究所通信網システム研究部研究員生活を経て、1996年に金沢工業大学にて助手に就任。講師、助教授を経て、現在に至る。学部時代から修士の間は主に人工知能、認知科学の研究を行っていたが、富士通入社後は主に交換機などの開発を行っていた。そんな中沢さんの一つの転機となるのが、金沢工業大学准教授としての虎ノ門キャンパス配属である。

「子どもが1歳半くらいの時に転勤になってしまったので、子どもからすると『おじさん、誰』という状態になってしまったんです。これはまずいと思って、大学の上層部の方に『どうやったら金沢に帰れますか』と聞いたら、『通信をやめなさい。ロボットの時代だ』と言われて、しぶしぶ『ロボットをやります』ということになりました。これが大きな転機ですね。実際ロボット研究をしてみると、人工知能っておもしろいなと思うようになりました。」

専門分野は情報通信工学、自律分散システムであるが、ロボット工学、画像認識、教育工学などについても研究活動を行っている。

AIってなに?

さて、今やその言葉を聞かない日はないと言っても過言ではないAI。AIとは一体何なのだろうか。

AIとは、Artificial Intelligenceの略称で、推論、判断、問題解決、学習など、人間の知的能力をコンピュータ上で実現する技術やコンピュータシステムのことである。その仕組みを簡単に説明すると、外部からの情報(テキスト、画像、音など)を入力し、人間の知的能力を模した人工知能アルゴリズムによって、処理実行を行うという流れである。
研究学問分野として確立されたのは、1956年に行われたダートマス会議※がはじまりであり、ダートマス会議は、「Artificial Intelligence=人工知能」とも命名された会議でもある。
しかし、中沢さんは、人工知能という表現は、いささかAIの実情とは異なると提唱する。

「AIは『人間のように考えるコンピュータ』だと言えます。人工知能という言葉自体は人間が作ったものですが、今も通用するかというと違うと思います。人間自身の脳の動きを解明できていないので、それを工学的に実現する人工知能は、まだないということです。人工知能というのは、人間の知的な行動を真似しているに過ぎません。今言われている人工知能というのは、単に、入力に対する出力です。例えば、私の話している言葉について、皆さんは意味を理解(入力)し、それに対して反応(出力)していますが、機械の中で私の言葉は、いうなれば振動の連続でしかありません。」

つまり、現段階におけるAIは、意味を理解して出力答えを出せるような人間的な理解をしているものではなく、「入力に対する結果を人並み以上に、うまく推定できる機能を持つコンピュータ」にすぎないという。

ところで、昨今、「AI家電」なるものが多数登場したり、ソフトバンク社のpepper君、囲碁AIなどが生まれ、あたかも、人工知能が人間を凌駕する日も近いのではないかと考えさせられてしまうが、実は、ダートマス会議以降、これまでもAIブームは何度か訪れていた。

第一次ブームは、ダートマス会議で「人工知能」という言葉が登場した頃である。
この時は人間の脳のニューロンを真似た「パーセプトロン※」が開発されて話題になったが、その後、この手法では単純なものしか学習できないことが指摘され、政府やスポンサーなどからの研究資金の投入がストップ。AI研究は冬の時代を迎える。
しかし、1980年代頃、さまざまな専門家の持っている知識やノウハウをコンピュータに移植する「エキスパートシステム」が開発されたことにより、第二次AIブームが起こる。
この時は日本でも人工知能の計算機を作ろうと、「第五世代コンピュータプロジェクト(1982~1992年)」として国が総力を上げて研究を行った。しかし、当時のエキスパートシステムも覚えた答えしか出すことができず、日本の研究も徒労に終わった。そうしてAI研究はまたしても、冬の時代を迎えることになる。しかし、2000年代から現在までの長期間に及ぶ上、「これまでのブームとは違う」という意見もあるのが、第三次AIブームだ。このブームの中で欠かすことのできない存在が、「ディープラーニング(深層学習)」である。

※ダートマス会議:人工知能という学術研究分野を確立した会議の通称。1956年7月から8月にかけて開催された。当時、ダートマス大学に在籍していたジョン・マッカーシーが主催した会議で、その会議の提案書において、人類史上初めて「人工知能(Artificial Intelligence)」という用語が使われたとされる。提案書の序文 ―我々は、1956年の夏の2ヶ月間、10人の人工知能研究者がニューハンプシャー州ハノーバーのダートマス大学に集まることを提案する。そこで、学習のあらゆる観点や知能の他の機能を正確に説明することで機械がそれらをシミュレートできるようにするための基本的研究を進める。(以下省略)
※パーセプトロン:人工ニューロンやニューラルネットワーク(神経回路網。人間の脳内にある神経細胞(ニューロン)とそのつながりを表現した数式的モデル。機械学習と呼ばれるものには多くの手法があるが、そのひとつがニューラルネットワークを使った手法である)の一種。1957年、ローゼンブラット(アメリカの研究者)によって考案された。人工知能や機械学習、ディープラーニングなどのアルゴリズムの礎になっている。

第三次AIブームをひっぱるディープラーニング

ディープラーニング(深層学習)とは、機械における、多層のニューラルネットワーク(ディープニューラルネットワーク)による学習方法のことである。
人工知能とともに名前が挙げられることの多い「機械学習」の一部である。

元来のニューラルネットワーク(神経回路網)と同じ、入力層、中間層、出力層の構造だが、そのうち中間層を1層ではなく、4層、5層と深くすることで情報伝達と処理作用を増やし、判断するための特徴量の精度や汎用性をあげたり、予測精度を向上させたりすることが可能となったと言われている。


Google社のディープラーニングの実験。大量の猫の写真をコンピュータに見せ、画像のどこに注目して特徴を抽出すればそれを「猫」と判断してよいかを学ばせた結果、コンピュータが自動的に学習し、猫の画像を見分けられるようになった。

従来のAIブームでは、あるデータを機械が識別する際には、特徴となる情報の入力が必要だった。つまり、これまでのAIは、あくまで人間が入力した判断をプログラムに従って機械的に処理しているに過ぎなかった。しかし、ディープラーニングでは基準となる概念を一切コンピュータに教えることなく、ただそれらの情報を含むデータをコンピュータに与えたとしても、コンピュータ自身がその中で特徴を探し出すことができる。たとえば上述のように、猫の画像を大量に入力すれば、コンピュータ自身が特徴を理解し、猫という存在を見出すことができるのだ。

このようなディープラーニングは主に画像認識(Facebookの顔認証、自動運転など)、音声認識(iPhoneのSiriなど)、自然言語処理、異常検知などの分野での活用が考えられ、研究や実験が日々行われている。

「私の研究室では、今、交差点の車や人の数を、画像認識でカウントする研究を行っています。実験を終えて、実際に使える状態にまで至っています。」

その他にも、画像認識処理能力を生かして、ガンの診断データを分類するなどの取り組みも行っているという。
「あるガンの診断データをもらってステージ1、2などと分類したことがあります。今後は、ディープラーニングで診察結果を出した後に、人の手を入れて、最終的に診断するという方法もあり得るのかと思います。」

AIの得手不得手と、情感の有無

ところで、第三次AIブームの中で、「AIおそるべし」、と話題になったものの一つが、チェス、将棋、囲碁などのゲームをする人工知能とも言えるだろう。
1988年、チェスAIが人間の世界チャンピオンに勝利したことにはじまり、2013年には将棋で、さらに2015年、人間の「最後の砦」とまで言われていた囲碁でもAIが世界最高囲碁棋士に勝利した。この技術こそ、ディープラーニングのすごいところだと中沢さんはいう。

「データを観測して、良い点数が得られる方法を自分で学んでいき、より良い方法を抽出していくんです。画像認識も同じなのですが、こうすると一番良いということを、コンピュータ自身が経験を通じて学ぶんです。特に情報を与えなくても、人無しで学習していく。勝てる理論に対して報酬を与えると、それぞれのニューロンが覚えていくんです。」

「ある部分は人を超えているということを認めざるを得ないと思います。」
とも語る。

一方、AI、ディープラーニングも、活用分野によって差が生まれていることも事実だ。
それが、特に言語処理能力であり、その代表的な例が、「東ロボくん」である。

東ロボくんは、「ロボットは東大に入れるか」をテーマに研究・開発が進められた人工知能のことで、東京大学に合格できるだけの能力を身につけることを目標としていたが、2016年11月、このままでは、東京大学合格は不可能だと判断された。

その訳は記述式問題にあるという。
「文章、特に長文において、ロボットが前後の文脈を読み取るのは難しいんです。」
例えば以下の例である。

「暑いとき」と定義されていると、人は「冷たい飲み物が飲みたい」と判断し、文章を考える。けれども東ロボくんには、暑いから冷たい飲み物が飲みたいという常識がない。そうして、多くの文例に基づいて「寒いので何か飲みたい」という文章を作ってしまうという。

「このように大学の記述式問題は、人間の常識を含めないと解けないことが多くあります。東ロボくんは、文法は間違えないし、語彙は足していけばいくだけ覚えることもできます。この問題に関しては、間違えたということと状況を教えてあげれば、情報は自動修正できると思います。けれども、常識をどの範囲まで教えていくかということになると、判断が難しくなります。」 これは、そもそも、人の扱う言語は、単なるその言葉本来の意味だけではなく、背景にある常識や状況によって、あるいは、文節に応じて変化する恣意性を持っているからである。また、言語で定義される以前に、人間は社会的規範や倫理、常識、理性、さらには情感といった多様な判断基準を持つ。その点が、元来の人と動物の違いであったり、あるいは、人工知能の決定的な違いとも言えるのだろう。

さらに、理性だけではなく「AIが理解するのは難しいのが情感」と説明する中沢さんが例に出すのが「トロッコ問題」だ。

「トロッコ問題」とは一つの寓話である。
あるトロッコが線路上を暴走していて、その先には作業員が4人いる。あなたの手元にはレバーがあり、そのトロッコの方向を変えることができるが、方向を変えた先にも1人の作業員がいる。そのままトロッコを放置して4人を殺すか、方向を変えて1人を殺すか。
同様に、暴走しているトロッコがあり、このままだと同線上にいる4人の作業員が死ぬ。一方、あなたは橋の上に立っていて、目の前には太った人がいる。その人が落ちると列車が止まるが、あなたはこの人を突き落とせますか、という問題である。多くの人は、前者に関してはレバーを引いてトロッコの方向を変えるが、後者では目の前の人を突き落とすことはしない。

「理論的には同じ問題なんです。突き落としても1人レバーを引いても1人。けれども、突き落とすという行為は人を殺す行為なので避けたいですよね。AIは突き落としてしまうんです。理性はわかっても、AIにとって、情感は理解が難しいというのが私の意見です。」

今後、自動運転技術などの向上による実用化に際しても、これらの人間的な判断を加えた社会的なルール設定のハードルはなかなか高そうである。

AIは人間の仕事を奪うのか

昨今、「AIが人間を超える」あるいは「AIが人間の脅威に」という印象を抱かせた大きな理由の一つが、「機械に置き換わる可能性のある職業」というテーマではないだろうか。日本の職業の約49パーセントが、今後10年間でAIに換わるという発表もある※。具体的には、タクシーやバスの運転手、銀行窓口、宅急便配達員、測量士、レジ係、建築作業員や警備員などが示された。

「機械に置き換わる職種が出てくるというのは、仕方ないことだと思っています。産業革命の時、糸を紡いでいた人が機械に変わったとか、計算機が普及してそれまであった職業が淘汰されたという歴史もあります。これまで危険であったり、非人道的な単調さを伴う職種に関してはAIに置き換わることもあると思います。」

反対に、機械に置き換わる可能性が低いと言われるのが、映画監督やミュージシャン、グラフィックデザイナーなど、よりクリエイティブとされる職業であるが、今まで窓口業務をしていた人が、おいそれと映画監督になれるかというと、現実的にはなかなか難しい話である。
それでも、「人も世の中も変わっていくだろうし、変えていく必要がある」と中沢さんはいう。

※株式会社野村総合研究所が2015年に発表した英オックスフォード大学との共同研究結果。国内601種類の職について、人工知能やロボット等で代替される確率を試算。10~20年後日本の労働人口の約49%が就いている職業において、それらに代替することが可能との推計結果が得られたとするもの。


中沢さんが考える、ロボットやAIに仕事が移行していく中での、人間の心理の変遷。6番目の時点では、機械に置き換わる職業が生じるが、それによって人間の仕事が失われる訳ではなく、人間は別のクリエイティブな職業に就いているという。

「ロボットやAIへの仕事の移行は、ループするものだと考えて欲しいです。今後、ある職業が機械に置き換わり、人が別の職業に就くというループが加速することは考えられます。これまでの狩猟社会、農耕社会、工業社会までの変化に比べ、工業社会から、情報社会、あるいは現在の超スマート社会※実現までのスピードは早いですね。もしかしたら、今人間が行っている仕事は全部、人工知能に変わるかもしれません。」

※超スマート社会:日本政府が2020年までの実現を目指す、「必要なもの・サービスを、必要な人に、必要な時に、必要なだけ提供し、社会の様々なニーズにきめ細やかに対応で き、あらゆる人が質の高いサービスを受けられ、年齢、性別、地域、言語といった様々な制約を乗り越え、活き活きと快適に暮らすことのできる社会(内閣府 第5期科学技術基本計画 平成28年1月22日閣議決定)」。

これからのAI研究とわたしたち

前述のように、ディープラーニングの誕生により、今起こっている第三次AIブームはこれまでと違うという声も多く起こってはいるが、それでも中沢さんは、第三次ブームは、一旦終息するだろうと考える。

「私的な意見ですが、人工知能では情感や非合理的な部分を表現できない。人間に勝てない部分が出てきて一旦ブームは止まるのではないかと思います。」

それでも、何度も冬の時代を経ながらも続けられてきた背景からも、AIに対する人の願いは深く、その研究が終息することはないだろう。

「その後のブームが来たとき、どうなるかは想像できません」と中沢さんは締めくくる。

「今のブームは基本的にアメリカやカナダの技術ですが、日本でも脳の動きを模擬するアルゴリズムをつくろうというプロジェクトがあります。若い人たちにがんばっていただきたいですね。」

誤解を招く言い方かもしれないが、あらゆるところで語られる「AIは人間を超えるのか」というテーマは、たとえそれを誰が語ろうとも、結局のところ「こう思う」という語り手の持論の域を出ないのではないだろうかと思うことがある。
もちろん開発の中心にいる人だったら、こうしたいという思いはあるかもしれないけれど、結局何をもって人間を超えるということになるのかというと、人の優劣を決められないように答えのない話になってしまうし、そもそもAIは人間が求めて開発し続けてきた理想の存在であるにもかかわらず、どうして人と比較されるのだろうか、人と対立するために育まれたのだろうかというテーマに対する疑問も残る。

一方で、AIという存在は、人の手(知識)を借りて、あるいは自ずと学習しながら成長を遂げているのも事実である。人の願望、あるいは欲望みたいなところから誕生したその存在に対して、人はある程度の責任をもつ必要もあるだろう。
とりあえずは、彼ら(これが正しい表現かどうかはわからないけれど)との付き合い方に対する各々の考え方みたいなものは、わたしたち自身が持っておくに越したことはなさそうである。

人がAIに対して、あるいはそれがもたらす社会的個人的影響に対してどう考えるか。それは個人の自由に依ってしまうけれど、「人も変わっていかなくてはいけない」と中沢さんが語るように、AIが進化することによって人に起こりえる変化を、人々が、ある程度肩の力を抜いて、楽しむことができれば良いなと思う。そういったある種のラフさや遊びみたいなものは、人間にあってAIにはないもののような気がするし、その楽観性が、人とAIの平和的な共存、あるいはそれぞれの相乗効果みたいなものを実現できるのかもしれないと思ったりするのである。

話し手
中沢 実(なかざわ みのる) 金沢工業大学 教授

聞き手
福島 健一郎 ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター(アイパブリッシング株式会社 代表取締役)


鶴沢木綿子

お問い合わせ

トップを目指す

トップを目指す