#18

2018.02.23

アートディレクターとしての上出恵悟

担当ディレクター:久松陽一
毎回様々なジャンルで活躍するかたがたをゲストスピーカーに迎え、新産業の創出へのキモチとモチベーションアップを目指す、モチモチトーク。

2018年2月23日、第18回は、「アートディレクターとしての上出恵悟」。

久松ディレクターより
「陶芸家にアートディレクションについてお話を伺うことは初めてで、とても新鮮でした。トーク自体も、紹介するスライドも今までで一番作品数が多く、上出ワールド満載の内容です。陶芸家がアプローチするデザインとは?必見です。」

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肩書は上出長右衛門窯と書いてください

上出惠悟さんは、自他ともに認める、肩書の多い人だ。

「肩書にはいつも困ってしまいます。肩書は『上出長右衛門窯と書いてください』と言うことが多いんですが、それって肩書じゃないよと言われてしまったり。今のところ『六代目候補』なんで、『六代目』っていうのも微妙だし…。テレビに出たときは、一般の人がわかりやすくしなくてはいけなくて『クリエイター』になりました。」

そう、トツトツと話す上出さんは、確かにクリエイターなんだけれど、クリエイターという言葉がもっとも不釣り合いな気がして笑ってしまう。

出身は石川県能美市。石川県立工業高校卒業後、東京芸術大学に進み、同学美術学部絵画科油画専攻を修了。現在は家業である上出長右衛門窯を継ぐ、六代目候補である。

上出さんの生まれた上出長右衛門窯は、明治12 年創業、約130 年という長い歴史を持つ九谷焼の窯元だ。すべて手作業で描く繊細な絵柄、鮮やかな発色の染め、加えて丈夫な生地が特徴の窯元で、上出さんは経営者、デザイナー、ディレクターとして、約20 名のスタッフとともに、丁寧で美しく長く愛される品々を世に送り出している。

上出さんという人の成り立ちを知ることのできるものの一つに、デザイン科だった高校生時代に制作し、文部科学大臣・総務大臣賞を受賞した選挙啓発ポスターがある。

「すごく恥ずかしいんですけど、学校の授業の課題として制作したものです。こういうのって普通は投票箱の絵が多いんですが、みんな投票箱を書くだろうから、投票箱は描かないって最初に決めてつくりました。僕、文字詰めが下手だから、コピーが『ちょ っと』ってなっていたりして、おかしいですよね。でも、今でも、いいなと思います。」

独特の視点と色づかい、その丁寧に引かれた線を見れば、このころすでに、上出さん節のようなものが芽吹いていたことがわかる。ともすれば、このままデザイナーとなっていても不思議はなさそうなものだけれども、高校3年生の夏に触れた現代美術や美術家の方々に感化され、「デザインじゃないな」と進路を変更。大学時代は油画科を専攻する。

「油画科といっても、油画を描いている人は半分いるかいないかでした。課題も『環境と身体をテーマに作品を制作せよ』みたいな、ふわっとした感じだったから、僕なんかは何をしていいか迷ってしまって。」

油画科なのに、筆をとれば「お前はなぜ油画を描いているんだ」という問いが飛び、違うアプローチを探れば「お前はなぜ油画を描かないのだ」と問う先生がいる。そんな禅問答みたいな日々。

「どうしていいかわからなかったので、トークショーを企画したりしていました。その時興味のある人に交渉しに行って、僕の先生と対談してもらったりして。トークの様子を映像で撮影して、編集して、文字に起こして、ホームページにアップしたり。そんなことをしてました。」
一見、油画科の学生としては意外とも言えるアプローチだし、作品づくりとはほど遠いことのようにも思える。けれども、その複雑で遠回りにも見える過程こそが、今の、上出さんの多層さを生んでいる気がしてならなかった。迷える大学生時代の上出さんは、さまざまな人のさまざまな言葉に耳を傾け、それを飲み込み、時に自分に置きかえながら、自分の道を自分の手で探っていったんだろう。時に、誰かの言葉に、閉まっていた扉を開くカギを見出しながら。だから、上出さんのつくるものは、どこか「人間らしさ」があるんだな、と頷ける気がした一端だった。

今回のイベントでは語られることはなかったけれど、その後も、きっとあらゆる葛藤と、いくつかのどうしようもない出来事と、少しのドラマチックなシーンとを経て、上出さんは実家の家業を継ぐことになったのだろう。

美術館に飾られる崇高なものから、引きずり下ろしたい

上出さんの代表的な作品といえば、卒業制作にしてその秀逸さゆえに現代アートの世界で多大な評価を得た、「甘蕉(バナナ) 房 色絵梅文」もさることながら、「髑髏のお菓子壷 花詰」のインパクトを差し置くことはできないだろう。

「友人の丸若屋と一緒につくりました。最初は、ドクロをつくったら、なんかすごいロックな感じの人だと思われそうでイヤだなって、迷ったんですけど…」

それでも、長右衛門窯の名前に「門」があるように、長右衛門窯のつくるものは開かれたものにしたいと思っていた上出さん。

「九谷焼を、美術館に飾られる崇高なものから、引きずり下ろしたいという想いがあったので、これは、きっと窯のためにも、やったら良いなって思ったんです。」

左:大学の卒業制作「甘蕉(バナナ) 房 色絵梅文」
右:「髑髏のお菓子壷 花詰」ドクロという死のモチーフと対極にある生々しい花の対比が印象深い

それにしても、これほど革新的なものづくりに挑戦しても、伝統的な九谷焼社会でほとんど反発がないというのは驚きだ。

「僕の窯には古い職人さんも多いんですけれど、反発は本当に少ないんです。ただ、ドクロだけは唯一『こわい、作りたくない』って言われてしまって。」

ファッションとしてドクロを身につけるようになった若い世代と、戦争などを体験しているような世代では、ドクロへの感じ方が違うのだろうと、上出さんは推察する。

「だから、結局、僕一人でたくさんのドクロをつくることになったんです。冬場で、外は吹雪。みんなが寝静まった真夜中に一人でドクロの内側を削ってたりすると、なんか変な感覚になってきちゃったりして。いきなりドアがバタン!って風で開いたりなんかして。まあ、たまたまですけど…。」そんな苦労もあったそうである。

とにもかくにもこれ以外にも、伝統的な枠にとどまらず表現しつづけるのが上出さんである。

自ら声をかけて実現したスペインの高名なデザイナー、ハイメ・アジョンとのコラボレーションでは、ハイメ・アジョン直々に工房を訪れてもらい、九谷焼が生まれた土地や文化的背景を理解してもらった上で制作に挑んだ。互いに納得できるものづくりを約束し、時に喧嘩に近い言い争いもしながら商品をつくったという。和洋漢をテーマに、でかでかと「TEA」という文字を書いた急須をはじめ、新商品の開発にもどんどん取り組んでいるし、かたやデザイナーとして、波佐見焼の絵柄デザイン、ワインのラベルデザインなんかも手がけたりもする。長右衛門窯の「門」を開く「上出長右衛門 窯まつり※」もつづけているし、美術家として、ホテルの一室で展示をしたり、改めて油画の作品づくりに意欲的だったりと、その活動は枚挙にいとまがない。

※上出長右衛門 窯まつり:毎年5月に開催される九谷茶碗まつりにあわせ、平成26年から行っているイベント。窯をオープンにし、工場見学やろくろ体験のほか、飲食店の出店などもある。

なんてこともない、普遍的な、笛吹みたいな

そんな上出さんを語る上で避けることのできないキーワードがある。「笛吹」である。これは長右衛門窯で長く使われている絵柄で、上出さん自身「これがあったから実家に帰ってきたと言っても過言ではないくらい好き」と語るものだ。

「もともとは古染付の柄で、中国の明の時代の人を描いたものなんですが、時を経ることによって、だんだん髪型が変わっていったりしているんです。本当は、髪の毛を全部束ねてお団子にして頭巾を被っているんですけど、だんだん河童みたいになっちゃってるのがあったり。伝言ゲームみたいになっていて、おもしろいんです。」

最近は、笛吹の持つ笛の音色にまで思いを馳せているというからその愛は深い。そんな笛吹をもっといろんな人に知ってもらいたいと、遊び心満載の現代版笛吹もつくった。笛吹の持つ笛が、他の楽器やラジカセ、レコード、スケートボードに代わったり、笛吹が骸骨になっていたりする。

「ちょっと遊びすぎた気はしていますけど、若い人たちが『自分が湯呑を持ちたいと思う日がくるとは!』とかツイッターでつぶやいたりしていて、そういう変化を生んでいるのは、すごくうれしいです。」

アートディレクターとして、窯や自身の作品の個展のポスターのデザインを施す上出さんだが、そのビジュアルにも、笛吹が透けて登場する。

「笛吹って、頭があって、体があって、座布団があるっていう形なんです。笛吹ってなんでいいんだろうって考えた時に、まず安定している構図っていうのも、笛吹が魅力的な一つの原因じゃないかと思って。九谷コネクションという展示のポスターでも、それをピクトグラムみたいに単純化して、横に倒して配置しています。」

左:九谷コネクションのポスター
右:笛吹の絵柄

「僕は、陶芸家という仕事はほとんどなくて。窯元には職人さんがたくさんいるし、僕は普段はデザインとかディレクションをしているんで、自分でろくろを回したり、絵付けをしたりはしていません。陶芸家っていう肩書はほとんど使わないし、陶芸家の人に失礼だと思っています。」

「陶芸家」という肩書での活動を問われた時に答えた、上出さんのその言葉には、陶芸家に対する強い尊敬がにじんでいる気がした。卒業制作に関しても、「陶芸の勉強をしてない油画科のものが、いきなり実家に帰ってきて、やった仕事。作り方はたいそうなものじゃない」と語ってもいた。さらに、その数少ない陶芸家としての作品として挙げてくれた作品が、上出さんの心を震わせつづける笛吹に由来するというのもまた、陶芸家、笛吹への上出さんの深い想いの片鱗を感じさせたのだった。

「『寿福老(ことぶくろう)』というオブジェです。やっぱり、笛吹の絵柄がすごく好きなんです。なんてこともない、普遍的な、笛吹みたいなものをつくりたいと思って、そこを目指してしばらく考えていたものです。全部、僕が手書きで描いています。陶芸家というほどのものではないけれど。」

寿という漢字と梟を融合した「寿福老(ことぶくろう)」のオブジェ

九谷焼は好きです。

ところで、「上出」という名前を「KUTANI SEAL」というブランドで知ったという人も少なくないのではないだろうか。

KUTANI SEALは、長右衛門窯とは一線を画した、安価でライトな九谷焼のブランドで、そのウェブサイトでも「転写ブランドです」と明言している通り、すべての絵柄をシールで焼き付けた商品をつくっている。若者から人気のこのブランドの立ち上げの根底には、上出さんの、伝統工芸をとりまく社会へのメッセージがあった。

「例えば、九谷焼をインターネットで画像検索すると、ほぼ転写でつくられた九谷焼の画像だったりするんです。僕も、いろんなところで『金沢旅行で九谷焼を買ったから見て』と言われて見せてもらうんですが、それも転写のものだったり。でも、ご本人は喜びの意味合いで見せてくれてるので、転写だとは言えなかったりします。僕はあんまり、こういうことは言わないんですけど、買う人も、もしかしたら売っている人さえも、それが転写だということが分からなかったりする。それはすごい問題だと思っているんです。」

買う人の中には、そもそも、転写という手法があることさえ知らない人もいるかもしれない。安価で手に入りやすい転写の商品のほうが広く出回りやすい。このまま転写の商品が九谷焼のスタンダードとして認識されると、単に転写が安いだけなのに、比較して手書きのものが高いと思われるようになってしまう。けれども、同じ業界にいながら「転写だから安いんだ」なんてことはもちろん言えない。手書きへのこだわりを持っていると同時に、九谷焼全体への想いがあるからこその葛藤だった。

「うちは常に『手書きです』と言っていたんですが、ある時、気づいたんです。自分でバラせば、バラし放題じゃんって。だから、ブランド名にさえも『シール』ってつけて、とにかく転写だってことを明かすブランドをつくったんです。」

立ち上げ当初はワークショップを中心に展開をはじめた。転写シールを見せること自体がタブーだったなか、シールをお客さんに自ら貼ってもらうという大胆な方法をとった。

「最初は、『バラしやがって』とか、すごい反感があるかと思って懸念してたんです。けれども、あるとき『転写の価値を上げてくれた』と言われたことがあって。はっとしました。そんな考え方もあるのかと驚きました。」

手書きと転写は本質的に違うもの、と上出さんは続ける。

「転写が悪いわけじゃないんです。お客さんがそれを区別できない状況になってしまっているということに問題があると思うんです。」

最後に、「デザインが好きか」と聞かれた上出さんは、こう答えた。

「デザインが好きかどうかは、わからない。でも、九谷焼は好きです。」

そして、続ける。

「自分でルールをそんなに決めていないんです。自分の領域、やり方、見解とかを、意識したり決めたりしないで、やりたい。自分が『好きだな』と思う人も、自分でルールを決めない人、限界点を持たない人。どこまでもついてくる人が好きですね。僕はさっさと帰るんですけど。ふふふ。」

暗喩的な表現で会は締めくくられた。

上出惠悟さんは、不思議な人だった。今回のテーマにあるように、いろんな肩書きを持ちながらアートディレクター的に九谷焼をアウトプットしている人であり、彼を知る人は、六代目、陶芸家、九谷焼作家、美術家、アートディレクターといった肩書、あるいは、ユーモラスな人、チャーミングな人、恐れ多い人、かっこいい人、特別な人、など、さまざまに彼を表現するのだろう。けれどもともかく、はじめて上出さんの話に耳を傾け、その姿を見つめながら思い浮かんだのは、一枚のピザだった。

手作業で練られたいびつな丸形のピザは、サクサクともっちりが共存した生地は食感がたのしくて、それ自体が一つの作品みたいに奥ゆかしい味わいを持っている。トマト、バジル、ハニー、クリーム、全方位で味がちがうけれど、どこかしら何かと何かが必ず、絶妙に調和していて、味の連鎖は途切れることがない。どこをかじっても、品のいいソースと季節の食材の香りが口中を幸せで包む。そんなピザ。もちろん、宅配や冷凍じゃなく、あるいは、ファミリー、とか、パーティという感じのピザでもなくって、背後に森が広がる湖のほとりで、職人が季節の素材を集め、せっせと薪をくべた暖炉で焼いた、手のひらに少しあまるくらいのほどよいサイズのピザ。一度食べたらみんなが好きになってしまうピザ。もちろん具材は季節や天気、あるいは時々の職人の思いによって変化するから、飽きることはない。そもそもめったには作られない。そんな、ある種の親密さと、崇高さとが共存したピザ的な人。

それが、上出さんだ。もちろん、モチモチトークと窯で、ピザを想像したという安易な発想も否定できないのだけど。

話し手
上出 惠悟 上出長右衛門窯 六代目

聞き手
久松 陽一 ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター(株式会社 Hotchkiss)


鶴沢木綿子

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