#19

2018.03.09

私と金澤ビール-「ゼロ→イチ」の取り組み-

毎回、さまざまなジャンルで活躍する方々をゲストスピーカーに迎え、新産業の創出へのキモチとモチベーションアップを目指す、モチモチトーク。

2018年3月9日、第19回は、「私と金澤ビール『ゼロ→イチ』の取り組み」。

村田ディレクターより
「『クラフトビールを作る』と決めてから、わずか1年弱で最初のビールをリリースされた鈴森社長。そのスピード感たるや『スタートアップ』そのものでした。」

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海外に暮らして、あらためて金沢に誇りを

鈴森由佳さんは金沢市出身。高校卒業後、2年間のフリーター生活を送ったのち、周囲からの「正社員になったほうがいい」との勧めを受けて、金沢石油株式会社に就職する。入社3年目の頃、たまたま友人に誘われて訪れたパラオ共和国で海外に目醒め、国際協力の取り組みにも興味を持つようになる。その結果、石川県の実家で、ジャパンテントのホストファミリーとして留学生の受け入れを開始し、海外の人々との交流を深めるようになる。ついには、2012年、会社を退職し、カナダ留学に進むのだが、このカナダでの生活が、鈴森さんにとっての大きな一つの転機となる。

「カナダは日本人が行きやすかったので選びました。英語の勉強が目的ではなく、留学生のような生活がしたかったのです。最初はワーキングホリデー、その後は学生ビザで、合計2年間をカナダで過ごしました。」

はじめて故郷から離れた遠い地で、一人暮らした鈴森さんは、自分の故郷に対する意識の変化を感じていた。

「海外に暮らして、あらためて金沢に誇りを持ったんです。日本に戻ったら、金沢につながることをしたいと考えるようになりました。」

加えて、クラフトビールとの出会いがあった。

「カナダで各地をまわったんですが、どこに行ってもクラフトビールがあるんです。会議でもビールが出てくるくらい、カナダはビール文化なんです。そもそも私はあんまりビールを飲まないのですが、土地、土地でビールがあるのは面白いなと興味を持ちました。」

金沢への誇りと、カナダで土地ごとに作られるクラフトビール。その二つが、鈴森さんの中で融合する。帰国後、前職の社長から紹介されたオーナーとの出会いもあり、カナダから日本に戻った約半年後の2015年4月23日、はからずも「クラフトビールの日」その日に、鈴森さんは金沢のクラフトビールづくりを決意するのである。

会社をつくっちゃいました

決意したからには行動は早い。鈴森さんは、さっそくビール醸造の研修を開始。研修場所は東京だったため、金沢と行き来する生活を約1年間過ごす。

「羽田ブルワリーに通っていました。私が研修をはじめた当時は、全国から7名が集まって一緒に研修していましたね。さらに、研修期間中の2015年7月7日に、『株式会社金澤ブルワリー』を設立したんです。研修中なのでビールはまだ作れないんですが、醸造の免許などを取得するにも、会社があったほうが動きやすかったんで、会社をつくっちゃいました。」

さらに会社設立の約半年後、2016年1月にビール製造免許を取得し、3か月後には、ビールのお披露目会まで開催したというから、そのスピード感には驚いてしまう。

鈴森さんの免許取得の順調なステップを聞くと簡単なようにも見えてしまうが、ビールの製造免許を取得するに当たっては、年間60kl(20lの樽が3000樽)以上の製造が必要となる。そのため、免許を取得するには、それだけの消費が見込まれるという証明として20軒の飲食店の署名が必要となる。つまり、まだビールがない状態で「この醸造所からビールを仕入れます」という署名を集めなくてはならないのだ。

「なんだかんだと20軒は達成したんですが、特に飲食店の知り合いがいたわけでもないので苦労しました。初めての飛び込み営業で、追い返されたこともありましたし、辛い思いもたくさんしましたね。」

今でこそ石川県内でも提供店が増え、瓶や缶での小売販売も見られることから、クラフトビール自体の知名度はあがっているが、当時はまだまだクラフトビールを知らない人も多くいただろう。さらに、ビールの現物がない状態で、美味しいものが出来上がるという確約もない中、交渉するとなると、その苦労は想像に難くない。それでも、鈴森さんの意思は固く、なんとか署名を集め、免許取得に至ったのである。

「免許取得後は、さっそく、はじめてのビールづくりをしました。けれども、思うようにできなかったり、うまく発酵しなくて廃棄したものもあったり。試行錯誤しながらなんとか完成させ、お披露目会に至りました。」

普段は公開していない醸造所を3日限定で公開した、金澤ビールの完成お披露目会は、行列がつくほどの大賑わいとなったという。

種類に応じて、酵母も一から培養

金澤ブルワリーでは現在、ペールエールを主力に、ヴァイツェン、ビタースタウトといった種類を展開している。これも、ある一人のキーマンがきっかけになった。

「1年と10カ月の間は、一人でやっていたんですが、2016年12月に新たな仲間、藤木(藤木龍夫さん)が入社しました。この人、もともとは日本酒の杜氏をしていて、国内でも醸造歴が長い人なんです。東京で研修を受けている時に存在を知って訪ねたことがあり、そこから仲良くなりました。私は経験のある人に手伝ってほしくて。入社の声をかけたのは私です。」

関西出身、当時は新潟に暮らしていたという藤木さん。鈴森さんよりもかなりの年上で経験も厚みをもった人が、遠く金沢で立ち上げたばかりのブルワリーに入社するなんていうのは、早々ある話ではない。けれども、鈴森さんが、普段から困った事や迷った時はなんでも電話で聞いていたという、師匠であり親友のような存在だったからこそ、鈴森さんのまっすぐなビールづくりへの姿勢に心が動かされたのかもしれない。こうして心強い仲間が増えたことによって、金澤ブルワリーの幅は一気に広がった。

「藤木が入社してくれたおかげで、酒類製造・販売業免許(酒母)も取得することができました。手間も時間もかかりますが、ビール酵母はビールをつくる上でもっとも大事だと思っています。だから、種類に応じて、酵母も一から培養してつくっていますし、それができるようになったのは藤木のおかげです。」

酒母とは、麹、水、米に酵母を加えたもので、酵母を培養したものである。日本酒の業界では、『一麹、二酒母、三造り』と言われるほど重要なものだ。しかし、ビール業界となると、大手のブルワリーでも出来合いの酵母を混ぜるだけというところが多いそう。そんな中、藤木さんの入社で、酵母を育てることが可能になった金澤ブルワリー。これで正真正銘、金沢仕込みのビールをつくることができたとも言えるのだろう。

ホップはビールの香りと苦みのもとになるもので、ホップを入れるタイミングでも味が変わってくるそう。麦芽を粉砕してから、発酵までは1日の作業だが、発酵を終えるまでには1ヶ月程度を要す。

できるから目の前にある

当初は寺町の古民家の1階にあった工場も手狭になり、2017年に新工場に移転。資格取得の時の最低目安であった60klという製造量も、今では、その10倍の600klを目指しているということからも、その人気ぶりがうかがえる。現在は、市内のクラフトビールを提供する飲食店やイベントで生ビールのみの販売だが、今後、750mlのシャンパンボトルでの小売販売もはじめるという。

加えて、耕作放棄地を活用してホップを栽培したり、ビールの製造工程で生まれる「麦かす」を飼料として再利用する取り組みもはじめているという。

「私は、何でも『チャレンジ』して、『楽しむ』ということを大事にしています。また、『チャンスはピンチ、ピンチはチャンス』と考えるようにもしています。これは母の言葉なんですが、私も好きな言葉です。免許取得の時、追い返されてつらい思いもしましたが、自分にとっては良い経験だったと思います。自分にできないことは降りかかってこない。できるから、目の前にあるんだと思うようにしています。」

さまざまな市内のイベントにも出店を続けるほか、新たな免許申請、新商品の開発、さらには海外への輸出にも興味があるという。聞いているこちらも自然と応援したくなるほど、鈴森さんの夢は広がる。

「一回やってみないとわからないことって多いと思うんです。何か私がアドバイスできるようなことはないですが、何でも捉え方次第だし、考えすぎちゃうとできないこともあるんじゃないかなと思っています。」

クラフトビールとは、そもそもは「手づくりのビール」、「職人のビール」などという意味を持つビールである。しかし、特に日本では、大手企業との対比に用いられる概念としての意味合いが強い。クラフトビールの醸造所は2017年現在200社あり、石川県で4社、そのうち金沢は2社のみ。それぞれが、想いを持って、クラフトマンシップにのっとって、日々美味しいビールを追求しているのだ。目に見えにくかったビールの業界も、鈴森さんたちクラフトマンたちが、扉を開こうとしている。伝統や歴史が生む信頼ももちろんあるのだろうけれど、良いものをつくりたいという想いがあれば誰でも始められるというのは、ビールに限らず、あらゆる好奇心の励みになる。クラフトビール業界は規模が狭い分、鈴森さんたち醸造所同士も、さまざまな情報を共有しながら横のつながりを展開しているという。新しく若い市場だからこそ、いい意味での競争と共存がなされているのだろう。フレッシュで、薫り高くきりっとした切れ味。うーん、ビールが飲みたくなってきた。

話し手
鈴森 由佳 株式会社金澤ブルワリー 代表取締役社長

聞き手
村田 智 ITビジネスプラザ武蔵交流・創造推進事業運営委員会ディレクター(株式会社MONK 代表取締役)


鶴沢木綿子

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